院長コラム

中東呼吸器症候群(MERS)騒動雑感~知的財産権は?2015年06月16日

 2015年(平成27年)6月15日現在、韓国で中東呼吸器症候群(Middle East Respiratory Syndrome :MERSマーズ)というウイルス感染症の流行が止まりません。感染者はこれまでに150人、死者は16人と増え、日本人を含む5,216人が隔離されている状況です。母子2人の日本人は、先週隔離が解かれ帰国しているという。わが国への感染拡大が最も懸念されている状況にあります。
 よほどの濃厚接触をしないとヒト-ヒト感染はないだろうとされていましたが、その後の韓国内の感染拡大を見ると、そうも云っておれない状況のようです。

 さて、今日の話題はこのウイルス発見にまつわる秘話(悲話?)です。
 夜空に輝く星の中から未知の星を発見して名前を付ける。命名者は当然、発見者であり、その名は永久に残ります。ところで、その星は誰のものでしょうか? 
 このMERSコロナウイルスは3年前の2012年6月に急性肺炎で入院したサウジアラビアの60歳、男性の肺炎患者の喀痰からザキ(Zaki)医師が初めて分離しました。このウイルスをオランダのエラスムス医学センターに送り検査を依頼、遺伝子解析の結果、新型のコロナウイルスと決定されました。ザキ医師はこれをHCoV-EMCと命名して学術誌に報告しました(Ali Moh Zaki,et al:Isolation of a novel coronavirus from a man with pneumonia in Saudi Arabia. New England Journal of Medicine 2012,367:1814-1820)。
 ところが、オランダのエラスムス医学センターは特許を申請し、世界の研究機関へのウイルス配布もオランダで行われるようになりました。これに対して、サウジアラビア政府は自分の国で分離されたウイルスがオランダで管理されていることに不満を表し、ザキ医師は政府の許可なくウイルスを送ったり、その結果を学術誌に公開したりしたことなどを理由に保健大臣により病院を解雇されてしまい、故郷のアフリカへ帰りました。科学者としてのザキ博士の一連の作業はなんら非難されることではないし、発見者としての名誉も保たれてはいるのですが、どうしてこのような悲劇が起こったのでしょうか?
 今後、このウイルスでワクチンや有効な薬剤の開発が欧米諸国で行われると思われますが、その利益はなんらサウジアラビアには還元されないことが問題視されているのです。世界的大流行(パンデミック)が予想されていました高病原性鳥インフルエンザのH5N1ウイルスを例にとると発展途上国から入手したウイルスを使って日本を含む欧米諸国はワクチンや新薬を開発しましたが、その利益は何ら途上国には還元されないと云う問題です(松山州徳:モダンメデイア60(4):137-142,2014)。
 わが国は平成18年からH5N1ウイルスのプレパンデミックワクチン(大流行が起こる前に前もって作っておくワクチン)を毎年1,000万人分、新たに備蓄したり、有効期限が切れたものを大量に廃棄したり、またこれにA型インフルエンザに有効な新しい薬剤などを開発していますが、ウイルスを提供する側の途上国は自力で作成することはできないし、大量購入するには莫大な費用を要するので、結局得するのは文明国ばかりではないかとのやり場のない怒りです。
 ウイルスは抗原変異をしていくので、文明国は常に新しいウイルスを途上国に求める必要があります。そこで、途上国はどこか高く買ってくれる商社か研究所と専売契約したいということを考えなくもないでしょう。WHOはゆゆしき問題としてとらえています。
 今後はたしてどのような解決策が検討されるのでしょうか?

(おまけ)

 ちなみに、私も日本中から分離したレジオネラ菌の中で長崎成人病センターの井戸水から分離したものが既知の菌種に合致しないので、これを当然のことながら無断で米国CDC(Centers for Disease Control and Prevention)に送りました。そこで新しい菌種と認定されてL.nagasakiensisという長崎由来の名前を付けさせていただきました。微生物の分類はきわめて複雑なので、世界的なレベルの専門施設へ送付して分類学的位置を決定してもらうことが必要であり、これはいまや科学者の常識となっています。以前は日本からも功を焦ったとしか思えないような誤った新菌種発見の報告がいくつかなされ、CDCが事前に送付するようにとの見解を発表したこともありましたが、幸い今はそういう恥ずかしい現象は見られなくなったようです。
 なお、ずいぶん昔の1980年に私たちが重症肺炎の患者から日本で初めて分離したレジオネラ菌も論文発表前に米国のCDCとUCLAの研究所の2カ所へ送り、同定を確実にしてから発表したのでした。従って、繰り返しになりますが、ザキ医師は科学者としては最良の方法をとったと云えます。それにしても、解雇と国外追放?という結果を見ると経済と科学の狭間での被害者であり私としては同情を禁じ得ないものがあります。

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